どっぷり専業主婦からの脱出【③私の身体に表れたストレス】

【前回のコラム】
どっぷり専業主婦からの脱出【②まさか、旦那様が?!世の中当たり前なんてない!】

収入がなく、貯金残高がどんどんと減っていく生活が続き

時が流れる中、

娘は無事に小学校に合格しました。


本来ならば、手放しで合格をお祝いしたいところでしたが、

真っ先に脳裏によぎるのは

お金のこと。



合格したら、入学金やら授業料やら、即支払いしなくてはいけません。

先の見えない中、またまたお金が飛んでいく。


それでも時間は待ってくれない。


主人は、就職を諦め、自分で会社を興しました。


しかし、すぐに収入につながるほど世の中あまくありません。


双方の親からお金を借りたりもしました。


そんな中、娘の小学校生活が始まりました。

電車に揺られ、送り迎えの日々

学校側から、少なくともGW明けまでは、送迎をしてください、と言われました。

学校まで1時間ほどかかったので、

朝送って行ったら、一度家に戻ることはできず、

大学の学食で、

出会ったばかりのママ友とお茶をしながら

お迎えの時間を待つ日々でした。


娘だけではなく、私の日常も大きく変わり、

かなりの緊張感の中生活していた気がします。

死んでしまうのではないか?


その頃から、私の身体に異変が出始めました。


朝の電車の中で、動悸がする。

このまま電車を降りて家に帰りたい。

でも娘を学校まで送り届けなければいけない。

それが何故かプレッシャーになり、呼吸が苦しくなっていきます。



どうにかこうにか、学校に送り届け、

お茶タイム。


今度はこのお茶タイムが苦しい。

娘のお迎えの時間まで、ここにいなければならない。

ここから今逃げることはできない。


そんな思いに支配され、呼吸が苦しくなります。


発作が起きると、

このまま死んでしまうのではないか?

と思うほど苦しく、

大きな恐怖が襲ってきます

少しすると、この発作は治まります。



そんな日々が続き、私はこの発作に恐怖を覚え、

家から出られなくなってしまいました。

自分を責める日々

送迎や、学校行事は、全て主人に任せました。

今度は、

当たり前のことができない自分自身を責めるのです。

他のママは、普通に楽しくできていることが

何故私はできないのだろう。

子どもや主人に迷惑をかけて、

何故私はこんな風になってしまったのか・・・

その思いが、更に精神的に私を追い詰めました。

私の病気は・・・

私は自身のこの発作を、

『パニック障害』

だと、わかっていました。

でも、どこかで認めたくない思いがあり、

どうにか自力で治そうと、我慢に我慢を重ねました。


しかし、治療を先送りにしたことで

もう家にいても発作が起こるようになり、

これはもうダメだ、

病院に行かないと本当にとんでもないことになる

と思い、

心療内科の扉をたたきました。

治療の開始

外出するのが恐怖なので、近所の病院に行くにも、母に付き添ってもらいました。

病院の問診票には、自分で

『パニック障害だと思います』

と、書きました。

症状を話すと、先生は、予想通り

『パニック障害』の診断を下しました。

幸い、入院をするほどではなかったので、

お薬とカウンセリングで治していくことになりました。


お薬を飲むこと

私の場合、

『予期不安』

と言って、


また発作が起きたらどうしよう

発作で苦しくて死んでしまったらどうしよう


と、ふとしたきっかけで恐怖を思い出し、

そこから発作が起きる、というものでした。


とにかく、抗うつ剤や発作を抑える薬で、


恐怖の体験


を、忘れることが大事でした。


しかし、急に強い薬は飲めないので

徐々に薬を増やしていきます。

その間、少量の薬を飲んでいる状態も、とてもつらく、

発作が起きてから飲んでも、発作が治まる

頓服を常に飲んでいる状態でした。


薬は強烈な眠気が襲い、日中はほぼ寝ている状態でした。

食欲もなくなり、つわりのように気持ち悪い日々でした。


とにかく、薬が効いてくれる日が来るのを、待ち望むだけでした。



《つづく》

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